新内を知っていますか

Yokoの生まれは新内です。

父親が国鉄の駅員だったので小学校にあがるまで、現在はウェスタン乗馬をされている元の鉄道官舎で生まれ育ちました。新内小学校はそこに登校するお兄ちゃんお姉ちゃんと一緒に遊ぶ遊び場でした。自分も将来この小学校に通うはずでしたが、その後の父の転勤で釧路、帯広と移動することになりました。

当時、遡上が当たり前だった鮭は今は昔。十勝川堰堤の影響でサホロ川にはすっかりのぼってこなくなりましたが、二十数年後、それで仕方ないのでYokoはサホロ川ではなく国道38線をのぼってきました。たどり着いたのは新内の隣、北新得地区です。ここで25年以上生活をしています。

スキー客の降りるかつての新内駅

スキー客が乗降する、かつての新内駅

今では鉄道が切り替わり廃線駅となった新内駅には、走らなくなった汽車と車輌が展示され、その横ではエコトロッコが走っています。その駅を下った周辺の地区はサホロのゴルフ場に様変わりしていますが、かつてそこには集落が広がっていて人々が生活していました。

冬になり雪が降り出すと、新内駅にはスキーウェアーに身を包み、今では考えられない長いスキー板を担いで乗客が降りてきました。目の前に見えるサホロ岳にスキーをするためですが、今のようにゴンドラもリフトもありません。スキーを担ぎ歩いて山頂を目指すのです。一度あるいは二度のスキーを楽しむために・・・。
木材、石材が新内地区から搬出されていました。それなりに賑わいのあった地区でした。

廃線後はもちろん駅はなくなりました。そして人々は駅前から居なくなりました。サホロダム建設の影響で、そこに住んでいた人達も居なくなりました。かつての住民の多くが新得の市街に移って行ったのですが、時代が移り変るにつれてその人達も少なくなってしまいました。

新内展2013年

新内ホールで行なった新内展2013年

新内の生き証人の方々が元気な間にと、2013年、かつての新内小学校(今の新内ホール)で新内展を企画してみました。父の趣味の写真の中から新内を展示するのが大半でしたが、かつてそこに住まわれていた方々が訪れてくれてYokoの知らなかった話を聞かせて頂きました。早くしないと時間がありませんが、次はそんな方々の話をまとめて、バージョンアップした新内展を開きたいと考えています。

ちなみに新内ホール奥には、沢山の新得町に関する郷土品が、普段は人目につかずに保存されています。なんとか陽の目を見せてあげたいものです。

現在、新内地区の狩勝高原では、多くの予算を使って新しいプロジェクトが進行中の模様です。どこかの町の金太郎飴とならないような、町民が訪れてもワクワクするような、それでもちろん継続性のあるようなものとなるようにチェックしていきたいと思います。